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大分地方裁判所 平成元年(ワ)170号 判決 1994年4月28日

原告

松下重成(X1)

松下重子(X2)

右両名控訴代理人弁護士

徳田靖之

指原幸一

右徳田靖之控訴復代理人弁護士

鈴木宗嚴

被告

別府市(Y1)

右代表者市長

中村太郎

右控訴代理人弁護士

高谷盛夫

被告

恵本文子(Y2)

八尋博哲(Y3)

八尋悦子(Y4)

市原伸一(Y5)

市原末美(Y6)

右五名控訴代理人弁護士

緒方研一

理由

一  当事者について

請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二  本件事故の発生等について

1  貴光、隆明及び秀一の三名が清隆に対し原告ら主張の傷害を負わせたこと、清隆が原告ら主張の日時に死亡したことは原告らと被告別府市を除くその余の被告らとの間において争いがなく、昭和六一年一月二〇日午後三時過ぎ六年一組の授業終了後図書室内において貴光、隆明及び秀一の三名と清隆の間において暴行が行われ、転倒した清隆の上に秀一が跨り、清隆を二、三回手拳で殴打したこと、清隆はそのまま動かなかったこと、清隆が同日から二三日まで学校を休んだこと、清隆が原告ら主張の日時に死亡したことは原告らと被告別府市との間において争いがない。

〔証拠略〕を総合すると、本件事故発生の状況及びその前後の経緯について次の事実が認められる。

(一)  柳瀬教諭は、昭和六一年一月二〇日六年一組の五校時(道徳)の授業終了後(午後二時三五分頃)、毎日行う算数の小テストを行った後、その日の反省や注意事項の伝達などのために毎日開かれる帰りの会を開いて、児童に対し、翌日の参観日のために、これから体育館において書初め展等の冬休みの作品の展示の準備をする旨を告げ、特に用事のある者以外は直ちに帰宅するように指示し、午後三時三〇分頃には大部分の児童と共に教室を出た。

(二)  清隆は、その頃、同級生の隆明から、教室において、図書室で同級生の貴光、秀一と昼休みのプロレスごっこの続きをしようと誘われたことから、隆明と一緒に図書室に行き、同級生の江藤某(以下「江藤」という。)も右両名について行った。

(三)  清隆が、図書室に行くと、そこで待ち受けていた貴光及び秀一からいきなりプロレス技をかけられ、プロレスごっこが始まった。プロレスごっこは、清隆対貴光、隆明及び秀一の三名の形で推移したが、清隆が一方的にやられている様子はなく、清隆が紙製板を持って貴光を追いかけ、貴光の頭を叩いた際、周囲にいた児童から制止の声が上がったほかは、周囲で傍観していた児童らは、清隆と親しく、体格も大きい江藤を含め、右プロレスごっこを止めさせる声を上げなかった。そのうち、秀一は、清隆に頭を壁ないしドアにぶつけられるなどしたことから(この段階において、貴光は図書室の隅で図鑑を読んでおり、プロレスごっこには加わっていない。)、清隆の足を蹴るか払いのけるかして清隆を床に転倒させ、転倒した清隆の身体の上に跨り、清隆を手拳で数回殴り、隆明は、清隆を脱いだ上履きで殴ったりした。右両名は、周囲で傍観していた同級生の児童らが声を上げたので、これを止めた。清隆は、立ち上がらず、児童らの呼びかけにも頭を振ってはっきりした応答をしなかった。児童らは、清隆を残して、図書室を出た。江藤は、教室に戻り、清隆と一緒に帰ろうと教室で清隆を待っていたが、清隆が戻らないので一人で帰った。

(四)  清隆は、午後四時三〇分頃、帰宅し、祖母に対し、ドアにぶつかった旨述べた。清隆は、同日午後七時頃と一〇時頃の二回にわたり嘔吐し、そのため、原告重成に連れられ、午後一〇時四〇分頃、別府市秋葉町所在の中村病院を受診した。同病院の有永医師は、清隆を診察の結果、脈拍五四、血圧一〇六/五四(最大/最小)、体温三六・四度であり、清隆に意識障害はなく、瞳孔の大きさ均等、瞳孔反射正常、左右握力正常、しびれ感なしと診断し、入院の必要を認めず、経過観察することにし、原告重成に対して清隆の容態に変化があれば来診するよう指示して帰宅させた。

(五)  清隆は、翌二一日午前中、祖母に連れられて、別府市楠町所在の眼科岡田医院を受診し、岡田哲郎医師は、清隆を診察の結果、右眼打撲、結膜炎、視力右一・二、左一・五、角膜・前房・眼底とも著変なしと診断し、清隆に対し、結膜炎の点眼薬を投与した。清隆は、同日午後二時頃、原告重子に連れられて、前記中村病院を受診した。清隆は、中村信博院長に対し、右前額部、右眼部が少し痛むと訴えたが、診察の結果、清隆の応答は確実、瞳孔反射正常、心音異常なし、その他自覚的、他覚的に病的所見は認められないと診断し、約一週間の治療を要する頭部外傷、顔面打撲傷、右前額部、右眼部擦過傷と記載した同月二〇日付けの診断書を作成した上、清隆に対し、バレタン(解熱鎮痛剤)、セラチターゼ(消炎鎮痛剤)各三日分を投与し、帰宅させた。右診察の際、頭部CTスキャン、頭部X線撮影をしたが、その結果に異常所見は認められなかった。

(六)  清隆は、同月二一日から二三日まで学校を欠席したが、その間、普通の生活を送り、少し食欲はなかったものの、病的な徴侯を示すことなく、食欲も徐々に出てきたことで家族も安心していた。清隆は、その間、本件事故発生の状況等の説明のため、同月二一日及び同月二三日自宅から徒歩で一〇分程度の本件小学校まで赴き、同月二三日には本件事故発生の状況の再現に約一時間立ち会った。

(七)  ところが、清隆は、同月二四日午前六時三〇分頃、大きないびきをかくという異常を示し、意識不明のまま、救急車で前記中村病院に搬入された。清隆は、搬入時点で既に死亡しており、中村信博院長が蘇生術を試みたが、息を吹き返すことなく、午前六時五八分同病院において死亡し、死因は不明と診断された。

(九)  なお、清隆は、本件事故の約一か月前である昭和六〇年一二月一三日別府市駅前町所在の矢ケ崎小児科医院を受診し、急性扁桃炎の診断を受けた。

以上の事実が認められ、原告松下重成の本人尋問の結果中、右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、貴光、隆明及び秀一の三名は、相談のうえ、清隆とプロレスごっこをしたところ、これが高じて、隆明及び秀一と清隆の間において喧嘩になり、隆明及び秀一の両名が清隆を転倒させ、手拳で数回殴り、上履きで殴るなど、共同して暴行を加え、前記の傷害を負わせたものと認められる。

原告らは、貴光、隆明及び秀一の三名が清隆を図書室に呼出し、三名が交互にあるいは全員でプロレス技を用いるなどして暴行を加えたものであり、右暴行は、集団による一種のいじめともいうべき悪質な行為である旨主張するが、右認定の事実を越える事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

2  〔証拠略〕によれば、図書室の利用及び柳瀬教諭の児童に対する指導等に関し、次の事実が認められる。

(一)  本件小学校においては、六年生の場合、通常、五校時又は六校時終了後、その日の反省や注意事項の伝達などのため帰りの会を開き、帰りの会をもって教育活動を終了していた。本件小学校においては、学年を問わず、帰りの会終了後一般児童の下校時刻である午後四時又は午後四時三〇分まで読書及び学習のため図書室の利用を許容していた。図書室の運営は、図書室の管理責任者である図書館主任の教諭が行っていたが、図書の貸出・整理は、図書委員会に属する五・六年生の児童がこれを自主的に行い、図書館主任の教諭が図書室に在室する態勢をとっていなかった。柳瀬教諭は、本件事故当時、図書館主任であった。

(二)  六年一組においては、帰りの会終了後は、五分以上居残る場合は必ず柳瀬教諭に報告するように学級会で決めており、柳瀬教諭は、居残る理由のある児童に対しては居残りを許可するが、そうでない児童は下校するよう指導していた。柳瀬教諭は、本件事故当日美化委員の児童一人の居残りを許可しただけであった。

(三)  男子児童は、本件事故当時、遊戯中に時にプロレスごっこをすることもあった。しかし、柳瀬教諭は、そのことを知らなかったし、プロレスごっこで児童が怪我をしたという話を聞いたこともなく、六年一組の児童の間において喧嘩があったことはなかった。また、柳瀬教諭は、本件事故当日の昼休みに貴光ら三名と清隆がプロレスごっこをしたことも知らなかった。清隆は同級生の皆から好かれており、いじめられているということはなかった。

なお、本件小学校において、本件事故発生前に、図書室で児童間の喧嘩や暴行事件があったことを認めるに足りる証拠はない。

三  清隆の死因及び前記暴行と清隆の死亡との因果関係について

1  原告らは、清隆は、貴光、隆明及び秀一の三名の前記暴行による何らかの脳障害により死亡したものであると主張する。

〔証拠略〕によれば、大分医科大学教授玉置嘉広が鑑定受託者として司法解剖した際、清隆の死体には、右前額部打撲擦過傷、左頬・右手根部擦過傷、左膝打撲傷の各損傷があり、右各損傷はいずれも軽徴であり、受傷後数日経過した損傷であったこと、右前額部については頭皮下出血を生じていたが、頭蓋骨に骨折・縫合離開はなく、硬膜上下腔に著変はなかったこと、脳の組織学的検査によれば、脳浮腫が認められたが、心不全による昏睡状態の結果生じる程度の軽度のものであり、びまん性軸索損傷の所見は認められなかったこと、他臓器の組織学的検査によれば、心筋の空胞変性、心筋の消失と結合織の増生、炎症性細胞浸潤、小出血という心筋炎の所見が認められ、これらが刺激伝導系において存在すれば、致命的不整脈を起こしうる程度のものであったこと、同じく他臓器の組織学的検査によれば、肝炎の所見である肝臓のグリソン鞘及び小葉中心部に細胞浸潤が認められたが、心筋炎と肝炎との関係を組織学的には明らかにすることができなかったこと、玉置嘉広は、以上の所見を前提に、清隆の死因を原因不明の心筋炎による急性心不全であると判断したこと、玉置嘉広は、その後、ホルマリン固定してあった右組織の病理学的検査を行った結果、右肝炎がB型肝炎ウィルスによるものと判明したため、清隆の死因をB型肝炎ウィルスによる心筋炎と推定したことが認められ、また、〔証拠略〕によれば、国立別府病院循環器科医師堀秀史は、右甲第一七号証の鑑定書に対し、鑑定書中の組織学的所見には心筋に心筋炎の所見が存在しているが、死因がウィルス性心筋炎であるとの特定はできないと思うとの意見を述べていることが認められ、右各認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実と前記二1認定の事実によれば、清隆の死因は、ウィルス性のものか否かは特定できないものの、心筋炎による急性心不全であると認められるのであり、清隆の死亡は貴光、隆明及び秀一の三名の前記暴行による何らかの脳障害によるものであると認めることは困難である。

2  原告らは、仮に清隆がウィルス性心筋炎に罹患していたとしても、それが死因となるほどに悪化したのは、貴光、隆明及び秀一の三名の前記暴行によって意識障害を起こしたためであると主張するので、進んで検討する。

なるほど、〔証拠略〕によれば、玉置嘉広は、頭部打撲が心筋炎に悪影響を与えて清隆の死を助長した可能性を否定することはできない旨の判断をし、また、堀秀史は、暴行を受け、失神・嘔吐などの病状を呈したことが突然死の誘引となった可能性については否定できないかもしれない旨の判断をしていることが認められる。

しかし、〔証拠略〕によれば、玉置嘉広は、頭部打撲が心筋炎に影響を与えて清隆の死を助長した点を解剖所見から明らかにすることはできないとも判断し、堀秀史は、死因がウィルス性心筋炎と仮定した場合において、暴行を受け、失神・嘔吐などの病状を呈していたことが突然死の原因とは考えにくいと思うとの意見を述べていることが認められる。また、〔証拠略〕によれば、心筋炎の多くは、ウィルス感染後の免疫不全が関連するとされているとはいえ、その原因が全て解明された訳ではなく、心筋炎の発生機序を含む病態生理も定かではないことが認められる。

右の諸点に照らすと、玉置嘉広及び堀秀史の前記判断はいずれも貴光、隆明及び秀一の三名の前記暴行及びその結果としての傷害がなければ清隆の死亡が避けられたことについて、一般的・抽象的な可能性に言及するにとどまるものと解され、これらをもってしては清隆の死亡が避けられたことの蓋然性を推認するには足りず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

3  以上によれば、貴光、隆明及び秀一の三名の前記暴行と清隆の死亡との因果関係を認めるに足りる証拠はないというほかなく、原告らの本訴請求中清隆の死亡に基づく部分は理由がない。

四  違法性阻却について

一般に容認された遊戯中においては、その遊戯に通常伴うと認められる程度の行為によって、偶発的に、他人に傷害を負わせる結果を生じたとしても、右行為の違法性が阻却されるが、その行為が右の程度を逸脱した場合には、違法性が阻却されるものではないと解される。

これを本件についてみるに、前記二1認定のとおり、貴光、隆明及び秀一の三名は、相談のうえ、清隆とプロレスごっこをしたところ、これが高じて、隆明及び秀一と清隆との間において喧嘩になり、隆明及び秀一の両名が清隆を転倒させ、手拳で数回殴り、上履きで殴るなど、共同して暴行を加え、その結果必ずしも軽微とはいえない傷害を負わせたのであるから、隆明及び秀一の前記暴行は、プロレスごっことして許容された程度を逸脱したものであり、違法性を阻却するものとはいえない。

しかし、前記二1認定のとおり、貴光は、プロレスごっこに加わったものの、これが高じる前にプロレスごっこを止めているのであり、貴光がプロレスごっこに加わっている間にプロレスごっことして許容された程度を逸脱した行為があったとはいえないから、貴光の行為は、違法性が阻却されるというべきである。

五  被告らの責任について

1  被告八尋ら及び同市原らの責任

隆明及び秀一の両名は、本件事故当時、いずれも小学校六年生(満一一歳ないし一二歳)であり、自己の行為の責任を弁識するに足りる能力を有していなかったと認められるから、隆明及び秀一の両名を各親権者である被告八尋及び同市原らは、清隆の前記傷害に基づく損害を賠償する責任がある。

2  被告恵本の責任

貴光の行為は、前記四判示のとおり違法性が阻却されるから、被告恵本は、清隆の前記傷害に基づく損害を賠償する責任を負わないものというべく、原告らの同被告に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

3  被告別府市の責任

(一)  小学校の教諭は、親権者等の法定監督義務者に代わって児童を監督すべき義務を負うが、その監督義務の範囲は、学校における教育活動及びこれと密接に関連する生活関係に限られるところ、放課後は学校の教育活動が終了した後であるから、原則として教諭には監督義務がないが、児童が教諭の許可を受けて居残りをしていた場合、小学校が一般児童の下校時刻まで図書室の利用を許容していた場合などには、これを教育活動と密接に関連する生活関係と解すべきである。

前記二2認定の事実によれば、本件小学校においては、帰りの会終了後一般児童の下校時刻である午後四時又は午後四時三〇分まで図書室の利用を許容していたのであるから、教諭は、右の時間帯の図書室における児童の行動について、教育活動と密接に関連する生活関係の範囲内のものとして、児童を監督すべき義務を負うものというべきである。

(二)  次に、教諭の監督義務の内容及び程度は、教育活動の性質、学校生活の時と場所、児童の学年等の諸般の事情により異なるものであるところ、本件事故は、帰りの会終了後の一般児童の下校時刻である午後四時又は午後四時三〇分までの時間帯に図書室において小学校六年生の児童間で生じた出来事であるが、図書室における図書の貸出・整理は図書委員の児童の自主的活動に委ねることが教育上望ましく、放課後の図書室における一般児童の読書や学習は本来児童の自主性を尊重すべきものであり、また、児童は小学六年生の第三学期ともなれば既に多くの経験を積んで学校生活に適応し、相当程度の自律・判断能力を備えているものであるから、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特段の事情がある場合でない限り、図書室の管理責任者である教諭をはじめ学校側において、図書室に在室し、又は巡回するなどして児童を監督すべき注意義務は存在しないと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、前記二2認定の事実によれば、男子児童は本件事故当時遊戯中に時にプロレスごっこをすることもあったが、柳瀬教諭はそのことを知らなかったし、六年一組の児童の間において喧嘩があったこともなく、また、本件事故発生前に図書室で児童間の喧嘩や暴行事件があったことも窺われていないのであるから、柳瀬教諭は本件プロレスごっこを全く予見しておらず、かつ、これを予見し得るような特段の事情も存在しなかったものと認められる。

従って、柳瀬教諭には、図書室の管理責任者として図書室に在室し、又は巡回するなどして児童を監督すべき注意義務はなかったものというべきである。

(三)  以上によれば、柳瀬教諭の監督義務違反を理由とする原告らの被告別府市に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(裁判長裁判官 丸山昌一 裁判官 村上亮二 大﨑良信)

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